【日向ひょっとこ踊りについて】
日向ひょっとこ踊り(正式名称:永田のひょっとこ踊り)は、明治時代に日向市塩見永田地区に眼科医として開業していた橘公行医師によって考案されたといわれています。
そのルーツは里神楽に登場する“もどき”をモデルにしていることが解明されてきましたが、詳しいことは判っていません。
昔は、初午(はつうま)の日に踊られていたそうですが、現在は豊作を祝う踊りとして、また商売繁盛を願う踊りとしていろいろな機会に踊られています。永田のひょっとこ踊りは日向市を代表する踊りとして市の無形民俗文化財にも指定されています。
【日向ひょっとこ踊りの物語】
昔、塩見永田に「ひょう助」と「おかめ」という夫婦が住んでいました。
なかなか子どものできない二人は、毎朝、稲荷神社に豆ん飯を供えて子宝に恵まれるよう祈願をしていると、
あまりにも空腹だった神主が、お供え物の豆ん飯を見て、つい、つまみ食いをしてしまいました。
それを見て怒ったお稲荷様が、きつねの姿となって現れたものの、傍らにいた美しいおかめに目を奪われてしまいます。
そして、おかめの気を惹こうと手招きをしながら踊り始めます。それを見ていたおかめがつたれて踊りだし、
心配そうに見ていたひょう助とこの様子をそっと木陰でうかがっていた村の若者たちもつられて一緒に踊りだしてしまいました。
踊りのあと、境内が汚れたので、残った1人の青年が竹ぼうきを持って踊りながら掃き清め、みんなの後をついて行きました。
【日向ひょっとこ夏祭りについて】
≪歴史≫
子のお祭りは、地域の活性化・伝統文化の継承・観光振興などを目指して、1984年に始まりました。熱心なファンや市民によって次第に規模が大きくなり、現在では日本全国から踊り手が参加。宮崎を代表するお祭りに成長しています。
≪概要≫
パレードには、グループでも個人でも参加できます。ステージや規定のコースで踊りを披露し、踊りの美しさやチームワークなどを競います。
また、個人戦では、ステージ上できつね・おかめ・ひょっとこの各部門でその技を競います。
≪服装≫
「ひょっとこ」「おかめ」「きつね」それぞれのお面をつけ、赤い着物に白い帯、豆絞りの手ぬぐいを被ります。
きつねは白いももひき姿に白い足袋を履き、ひょっとこは白いふんどしを締め、黒い足袋を履きます。何といってもいろいろな表情のお面が笑いを誘い、見る人を惹きつけます。